ジャーナリストの鬼塚眞子氏が取材のため来社されました。鬼塚眞子氏の許可をいただいて掲載しております。(有)大西保険事務所の40年以上の歩みを紹介させていただく良い機会となりました。鬼塚眞子氏および新日本新聞社に御礼申し上げます。

著者プロフィール

新日本保険新聞

鬼塚さんの顔写真 鬼塚眞子
(おにつかしんこ)

大手保険会社営業、保険業界紙記者などを経て保険ジャーナリストに。 保険業界団体「オーツードットコム」主宰。新聞やビジネス誌への執筆のほか、全国各地で講演活動も行う。
※詳細プロフィール⇒http://www.o2com.org/

vol.7先代が築きあげた“信頼”という企業文化

同社の集客を「先代の基盤があるから」と一言で片づけるのは簡単だ。しかし、“のれん”だけにすがり、時代の変化に取り残されてしまっては、長い歴史も幕を閉じることになる。お客様は厳しい選択眼を持っていることを忘れてはならない。

 そもそも先代である大西会長は、今日の基盤と信頼をどのように築きあげたのだろうか?

今では地元のライオンズクラブの会長をはじめ多くの役職に就く大西会長だが、サラリーマンから転身した当初、どこを訪問すればいいか分からず、毎朝、日新火災の営業所に顔を出しては、「どこぞ、行くところはありませんか?」と聞くのが日課だったそうだ。かといって飛びこみも、土地柄や性格的に不向き。

当然のことながら収入はほとんどなく、初年度手数料は惨憺たるものだった。

「開業4年目の昭和46年に事務所を購入した時も大変でした。ラーメン1杯50円、サラリーマンの初任給2~3万円だった当時、毎月の返済額が40万円、生活費がほとんどなくなって、家内が化粧品のセールスをして支えてくれた時期もありました。ホンマに家内には、えらい苦労をさせてしまいました」と感謝の意を示す。

だが、この先行投資が奮起となって、今日の隆盛につながった。信用を落とすようなことがあれば、たちまちに噂が広がる土地で、財産となるのは、やはり日頃の信用だったという。

大西会長は、「“与えよ、さらば報いられん”を経営のモットーとし、人が困っていることがあれば、ちょっとでも助けになればいいな、と思ってやってきました。行き先がなかった当初、思い付いたのが、外科病院の保険相談員です。近くに保険会社の支店や営業所がなく、保険金請求をしても書類が送られてくるだけ。電話で聞いても、よく分からなくって困っている方が多かったのでしょう。保険請求書類の記入の仕方を教えてほしいという相談が、次から次にありましてね。これが評判を呼びました。当時は、コンプライアンスも今ほどではなく、病院も『うちにとってもいいサービスになるからと』理解を示してくれました。今じゃ、とても無理ですけど」と、口コミが広がったきっかけを述懐する。

さらに弾みがついたのは、自賠責保険を重視してきたこと。後遺障害など高額支払いが出た時は、積立保険を勧めた。また、原付の場合、上乗せの付保が少ないので、事故があれば必ず相談に来てくれる。こうして出会った人を大切にして、自動車・火災などの多種目販売をしていった。

「保険料は“顧問料”という気持ちで、お客様のサービスに務めることが大切だと思います。繰り返しになりますが、大切なのは信用です。そのためには、お客様のサービスに務めているときは、純粋な気持ちで打ち込むことです。計算はいけません。お客様に見透かされてしまいます」と手厳しい。